第2回超然文学賞 結果発表・講評

受賞者が決定いたしました!おめでとうございます!

2019(令和元)年8月1日(木)から30日(金)の期間に募集しました「第2回超然文学賞」に御応募いただき,誠にありがとうございました。各部門の応募作品の中から,審査員による厳正な審査の結果,下記のとおり受賞者を決定いたしましたので,お知らせいたします。

小説部門

  授賞者氏名 作品名 所属学校・学年
最優秀賞 稲 垣  実 里  波音と潮風 富山県立富山中部高等学校     3年
優秀賞 三 浦  友 菜  炎の記憶 石川県立金沢二水高等学校     2年
優秀賞 廣 辻  瑞 紀  いつか、もう一度 北陸学園北陸高等学校       3年
佳作 本 田  彩 夏  冬眠、春を待たず 富山県立南砺福野高等学校     3年
佳作 鈴 木  康 祐  セピア色の雨雲 学校法人名古屋学院名古屋高等学校 2年
佳作

草 間  聖 治  

ふみきり 本郷高等学校           2年
       

短歌部門

  授賞者氏名 作品名 所属学校・学年
最優秀賞 松 田  わ こ  きんぴらごぼう 富山県立富山高等学校       3年
優秀賞 原 田   駿   確と見よ 学校法人名古屋学院名古屋高等学校 3年
佳作 谷地村   昴   背泳ぎ 青森県立八戸高等学校       2年
佳作 塩 崎  達 也  Do your best 学校法人名古屋学院名古屋高等学校 3年
佳作 仲 本  栞衣采  封蝋 沖縄県立那覇高等学校       3年
 

講評

総評

審査委員長:金沢大学人間社会研究域歴史言語文化学系 教授 杉山 欣也

 第2回超然文学賞受賞作は上記の通り決まりました。

 応募作品は小説・短歌部門ともに14作品ずつ。昨年より増えました。水準も上がったと思います。昨年同様、学外委員の久美先生(小説部門)、黒瀬先生(短歌部門)を交えた委員全員が読み、1作品ずつ討議して順位を付けていきました。その際、短歌部門は「きんぴらごぼう」「確と見よ」のいずれを最優秀賞とするか、意見が分かれました。方向性は違いますが、その差はわずかでした。そこで優秀賞を「確と見よ」1作品のみとし、両作の栄誉を称えることとしました。

 審査委員会で話題となったことを書いて、総評とします。

 まず、今年は「妹」がキーワードだったねということ。今回、小説部門の応募作品は大半は一人称でした。その多くが「妹」の立場から家族関係を見つめた作品でした。視点人物のポジションを考えて作品を設計した結果でしょう。小説だけでなく、短歌部門の最優秀作「きんぴらごぼう」も「妹」の眼に映る母や姉の姿を生き生きと描いています。「妹」の視点がもつ自在さが作品に自由をもたらす、その可能性を感じました。ただし、「妹」作品がいくつも重なるということはいわゆるネタかぶりでもあります。次回の応募者は別の視点の取り方も考えてみてください。

 また、タイトルの付け方に工夫をこらしてほしいということが話題になりました。小説部門最優秀賞の「波音と潮風」は、結末まで読んではじめて作品世界の成り立ちが読者に伝わるような、非常に練れた構成をとっている作品です。同様に結末でタイトルの意味もわかるような仕掛けになっていたら、作品自体の輝きが増すと思います。その点では短歌部門の「きんぴらごぼう」「確と見よ」はともにタイトルが15首の世界をよく表しており、印象的でした。

 なお、短歌のタイトルについてはそれが15首全体の世界を表すものでも、一押しの短歌のキーワードでもいいと思いますが、その一首があまり評価されない場合、タイトルで損をすることになります。いずれにせよ、作品をしっかり推敲して「これでよい」となったとき、作品内容とタイトルとの関係を客観的に捉え直してみてください。

 推敲といえば、言葉の用い方や作中人物の言葉遣いなど、丁寧に推敲していればもっと評価が高くなったと思える作品がいくつかありました。超然文学賞は大学主催の文学賞で、審査委員の多くは大学の教員です。いつもレポートや試験の文章に悩まされていますから、言葉の誤用は心象を悪くします。試験と違い、時間は十分に取れるはずです。辞書を引くなどして、しっかり推敲してください。

 この第2回以降、超然文学賞の受賞者には本学が2021(令和3)年度より導入する超然特別入試(超然文学選抜)への出願資格が与えられます。言葉の力、文学の力で未来を切り拓く若き言葉の探究者たちを、金沢大学はこれからも応援していきます。次回もみなさんの応募をお待ちしています。

 

小説部門 講評                               

                                     審査委員:小説家 久美 沙織

 二〇一九年は「妹の年」でした。

 高い評価を得た作品は、どういうわけか、妹が主人公でした。

 妹が視点人物となって、兄や姉や家族について書いているものばかりだったのです。

 偶然だと思いますが「超然文学賞にはこういうものが強みを発揮する側面があるかもしれない」という声もありました。

 家族のうちで、より若いもの、幼くて小さいものの感覚や視線は、若さや青春っぽさ、高校生らしさを、より強調するかもしれないからです。

 

 二番目の子(第二子)は、なんだか要領が良いような気がします。

 運動選手で、兄弟が同じ競技の選手でも、下の子のほうが強くて有名になるのが多い印象です。兄や姉がしていることを「おもしろそうだ」と感じて自発的に参入すること、年上の子たちの真似をしたり、経験に学んだりすることかできるし、道具や教室などもすでに用意されている。より幼いころから訓練され、上の子の水準にひきあげられつづける。

 親ははじめの子には厳しくふるまいがち。親や教師とぶつかる第一子を横目でみていた二番目の子は、いらぬ対立はうまく回避し、のびのび育ちやすいかもしれない。

 

 わたし自身は長女でおまけに四月生まれでした。いつも「先頭」で「矢面」でした。できれば末っ子に生まれたかった。あるいは中間子に。一人っ子に。

 なにしろおとぎばなしのヒロインはいつも「末っ子」で、いちばん上のおねえさんはイジワルな悪役に決まってましたから。

 

 けれど、誰も「自分」からは、逃げられません。

 そう生まれついてしまったものは、変えられません。

 どんなに「作って」も「装って」も、新天地に出向いて見知らぬ誰かとまったく新しい関係を築こうとしても、すでにある自分が土台です。経験はぬぐえません。自分らしさは、ともすると透けてしまうのです。

 

 書き手のみなさんに意識していただきたいのは、まず、ここです。

 あなたの「自分」は、どんなやつですか?

 どこが長所で、短所か。どんな特徴があるか。ほかのひとと、どこが違うか。

 

 あなたがたはみな、高校生で、ものを書くのが好きなひとですよね。

 世間一般からすると奇特な「変人」タイプですが、なんと、この賞に応募してくるのは、全員、あなたと同じ「そのタイプ」なんです。

 近似集団の中で、あなたがほかの構成員と「それでもちがう」のはどこでしょう? もともと変わってるやつらばかりの中でさらに飛び抜けて「ふつうじゃなく」図抜けている部分は? ほかのひとに「これなら勝てる」武器はなに?

 そこをしっかり見つけてください。

 それを理解して、見据えて、勝負してください。

 

 超然文学賞の選考に向かう新幹線の中でわたしは、ナイツの塙宣之さんのお書きになった『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』という本を読みました。集英社新書です。塙さんが、インタビュアーの質問にこたえたことばをまとめた本です。

 

 おどろくほど、共通していました。お笑いと、小説は。

 どちらもコトバで勝負するものですからね。

 

 みなさんは霜降り明星というコンビをご存じですか? 塙さんは、二〇一八年に優勝した霜降り明星を高く評価しておられました。たとえば、こんなふうに。

 

【引用】

 霜降りが発する強さは、お客さんに笑ってもらいたい、お客さんに幸せになってもらいたいという気持ちにあったんだと思います。

 芸人は芸歴を重ねるにつれ、客よりもこちらが上なんだみたいな錯覚に陥ってしまうことがあります。「俺の作品を見せてやるよ」みたいな。僕にもそういうところがあります。その意識過剰、力みが、自分で自分の首をしめてきました。

【引用ここまで】

 

 わかって欲しい第二点がこれです。

 力まない。

 自分をひけらかさない。

 意識を向けるべき焦点を間違わない。

 賞は、あなたの作品の「ひとを面白がらせる表現や内容」を、評価します。

 読んだひとが「これ、すごくおもしろかった。読んでみて!」と誰かにすすめたくなるような、そんなものを、もとめているのです。

 

「私はここよ。ねえ、変わってるでしょう?」

「ぼくを見つけて、もっと高く評価して!」

「どうだ、なかなかのもんだろ。高校生なのにこんなにうまいヤツ、ほかにいるか? 俺、そうとうかっこいいだろう?」 

 などなど、「作者」自身の自意識とか、不要なアピールが透けてみえてしまうと、とても損です。

 

 あなたの原稿を読んでくれる誰かに、『笑ってもらいたい、幸せになってもらいたいという気持ち(もしかすると、泣かせたいとか、怖がらせたい、考えこませたい、などなどである場合もあるかもしれません)』が純粋であれば、それは、必ず通じます。

 それには、文章と、あと、タイトルも! もっと攻めてください。

 なんとしても読者をひきこむ。おもしろがらせてみせる! そういう気迫を待っています。

 冊子に掲載する作品について、少し申し上げます。

 きびしいことも言っていますが、覚醒するためのヒントにしていただければ幸いです。

 

最優秀賞『波音と潮風』

 透明感があり、静謐です。美しい。

 あえて固有名詞を出さない選択、白いセーターの彼女の正体がわかるまでの経過など、ぜんたいに、とても抑制がきいています。構成もみごとです。

 文章はきびきび短く、シンプルです。へんにこねくられていないのが読みやすいし、好感が持てます。明確なのに凡庸ではない。基礎がしっかりできているという印象でした。

 短い小説は、ふつうはあまり章だてをしないほうがいいのですが、これは、複数の場面をいさぎよい漢数字で区分けしたかたちがピタリとはまっていました。

 素晴らしい作品を読ませてもらいました。どうもありがとう!

 

優秀賞『炎の記憶』

 兄との関係、火事の理由など、ストーリーは魅力的であざやか、構成もたくみ。セリフは生き生きしていて、テンポよく、迫力があります。でも、すみません、地の文が、それにくらべて雑というか、正直、なげやりに感じました。

 地の文に対してせりふが多すぎるのか、せりふに対して地の文があまりに少なすぎるのか。マンガでいえば、キャラクターの絵だけがつづいていて、コマに空白が多い、特にうしろがずっと白い、なんにも手がつけられていない、みたいな感じ。完成形ではなく、まだ、途中、みたいにみえるんです。先生のペンいれは終わった、アシスタントさんがはいる前、みたいな。

 せっかくのみごとなセリフの応酬、ちゃんとした場面設定や奥行きやリアリティーがないと、もったいないです。

 もしかすると、あなたには脚本家かマンガ原作者のほうがむいているのかもしれません。役者さんの肉体や声、絵師さんのペンなどの補完を必要としているというか。あなたのイメージをかたちにしてくれる誰かと、組んでみるのもいいかもしれません。

 

優秀賞『いつか、もう一度』

 ところどころに、とても良いところがありました。冒頭につかみがあり、飲み物を題材に兄と自分の関係性を描いているところも素敵でした。

 具体的なシーンをちゃんと作って演出して描いているところは魅力的なのですが、そうでないところがあり、観念的説明的すぎました。

 たとえば、最初の一行空きのあとの二十行ほどの部分。こういう「まとめて説明する」部分に、もう少し「読んでいてひきこまれる」工夫や技巧が欲しかった。

 語り手は、誰に対して、これらを説明しているんでしょう? なぜ、そうしなくてはならないと感じたのですか? 「これは物語で、外部に読者がいる、その読者に、はやくこれまでの経緯を明かさないと」というようなメタ的な自覚があったら、へんです。

 一人称で書くときは語り手キャラになりきってしゃべったり考えたりしなくてはなりません。そのキャラにふさわしくない語彙や行動があると、読みにくくなります。

 ひとりごとを延々つぶやき続ける子だとか、いつも日記を書いているとか。一人称でも不自然でなく「説明」ができる書き方もなくはありません。それを考案するのがめんどくさかったら、最初から三人称で書くほうがいいです。

 ストーリーもあまりにまっすぐすぎ、意外性がなさすぎ、単純すぎでした。おとうさんの秘密も、伝聞で知るのでなく、「私」が目撃するほうがいい。たとえば、夜中に、おとうさんがなにかゴソゴソしている。どうしたの、と聞いたら、ギクッとして、ごまかした。おとうさんがいない時にさぐってみたら、若い頃に書いていたらしい恥ずかしい脚本をみつけたしまった! このほうがおもしろいものが書けると思います。

 「具体的なシーンを作って」それをどこからどうながめて表現するのがいいか、どうすると、いちばんうまく伝わるか、読者がわくわくドキドキするか、苦闘してみてください。

 
 

短歌部門 講評                             

                                      審査委員:歌人  黒瀬 珂瀾

 超然文学賞も第二回となり、今年も優れた作品に数多く出会うことができ、心から嬉しく思いました。

 今回の応募作は前回と比較すると、〈より多彩になった〉といえるでしょう。様々な地域から、様々なバックボーンを持つ作者により、様々な主題を持つ作品が応募されてきました。これは、「超然文学賞」という場が徐々に知れ渡りつつある、ということ、そしてなにより、今、現在を生きる高校生の中に、自らの生を短歌で表現したい、他者に伝えたいという気持ちが育っていることの表れだと思います。

 日本語の表現が豊かになればなるほど、その人の感情や生き方は多彩になります。今後の文化を担ってゆく、若い人たちの成長を、実に頼もしく思うのです。

 さて、優れた作品群を目の前にして、どれを賞に推すべきか。正直、悩みました。選考委員による議論の内容も多岐にわたりました。これは、応募作の全体的なレベルアップを証明するものです。

 その議論の中で、最優秀作として選ばれたのが、松田わこさんの「きんぴらごぼう」でした。なんといっても、その言葉の伸びやかさに注目しました。短歌を作ると、どこかで「文学的にしよう」という意識が働き、無理な言葉遣いをしてしまうことが多いのですが、この作者は、言葉の軽やかさを巧みにつかんでいます。そして、現代的な家族関係を鮮やかに描いて見せました。これは、作者の心を浄化する、という短歌の大きな力を最大限に活用しているのです。だから、読者に爽快感を与えてくれるのでしょう。一方で、どこか吹っ切れたところがあってもいいのでは、という意見も出ました。そういった意見が出るほど、今後の成長が楽しみな作者ということでしょう。期待していますね。

 優秀賞には原田駿さんの「確と見よ」。昨年に引き続いての優秀賞でした。原田さんの歌人としての実力を見事に証明する成果でしょう。この作品は散文の世界から遠く離れて、世界がバラバラになってゆく面白さを掬い取っており、実に詩情にあふれています。ぱっと見、「わかりにくい」という感想が出るかもしれませんが、意味の筋を一本だけ外した形でこの世を見ているのです。これからのご活躍が楽しみです。

 その他、選考中に注目した、佳作の方々の歌を少しだけ挙げます。まず、谷地村昴さんの「背泳ぎ」から。「先生の目を見て嘘をつきました窓の向こうの雪は白くて」。情感と景色の取り合わせがとても美しく、実感があります。全体的に季節感を巧みに活かした作品で、未来を感じさせる一連でした。

 次に塩崎達也さんの「Do your best」から。「タクシーの空車の文字が駅前に並んで空の匂いの町だ」。発想がとてもユニークです。駅前の情景から一気に、空想の世界へと飛び立ちます。塩崎さんの作品は内省と挑戦に満ちていて、面白く読みました。

 そして仲本栞衣采さんの「封蝋」より。「今朝はテレビが父の名を名乗るのでユダの木として生きる他ない」。不条理なポエジーがあり、どこか現代的な生活に垣間見る神秘があります。沖縄の土地性を感じさせる歌もあり、面白く読みました。

 このように取り上げただけでも、今回の応募作の多様性がお分かりいただけると思います。現代は特に、テレビやインターネットでは大きな声ばかりが流れ、一つの考えかたに捕らわれがちの世の中です。

 そんな時代だからこそ、若い人たちが、自分自身の世界の見方、感じ方を、短歌を通して養っていってくれれば、これ以上嬉しいことはありません。

 超然文学賞が、そんな世界の多様性を見つける場になってゆくことを、祈っています。

 

※学外審査委員のご紹介はこちら


表彰式

日時:2020(令和2)年3月25日(木)14:00~15:00

会場:金沢市内 

表彰式の様子はこちら

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