第3回超然文学賞 結果発表・講評

受賞者が決定いたしました!おめでとうございます!

令和2(2020)年7月1日(水)から8月20日(木)の期間に募集しました「第3回超然文学賞」に御応募いただき,誠にありがとうございました。各部門の応募作品の中から,審査員による厳正な審査の結果,下記のとおり受賞者を決定いたしましたので,お知らせいたします。

小説部門

  授賞者氏名  作品名  所属学校・学年
最優秀賞 溝川 貴己  生命線 本郷高等学校           3年
優秀賞 中川 晏李 ぼくらのハムレット 大阪府立茨木高等学校       3年
優秀賞 岡 愛子

濃く、深く。 

金城学院高等学校         3年
佳作 西 彩華 揺蕩う星の行き先は 石川県立金沢二水高等学校     3年
佳作 由良 寧々 金木犀 京都府立園部高等学校       1年
佳作 登 裕太郎 呉先生 文化学園大学杉並高等学校     3年
       

短歌部門

  授賞者氏名  作品名  所属学校・学年
最優秀賞 渡邊 陽基  晩夏光 茨城県立土浦第一高等学校     3年
優秀賞 鬼頭 孝幸  米の花 学校法人名古屋学院名古屋高等学校 3年
優秀賞 野城 知里  花梨の空     星野高等学校           3年
佳作 谷地村 昴   二両目の窓 青森県立八戸高等学校       3年
佳作 高平 うるま  ひび 兵庫県立小野高等学校       2年
佳作 藤原 さくら  特急電車 愛知県立知立高等学校       2年
 

講評

総評

審査委員長:金沢大学人間社会研究域歴史言語文化学系 教授 杉山 欣也

 第3回超然文学賞受賞作品は上記のとおり決まりました。

  応募作品は小説部門15作品、短歌部門14作品。前回は14作品ずつでしたから、1作品増えました。応募者は全国各地に広がり、水準もさらに上がったと感じます。従来通り、審査委員は全作品を読み、1作品ずつ討議して順位をつけていきました。今回も全委員で、丹念に作品を吟味できたことをうれしく思っています。

 小説部門では、地方創生、LGBT、障害、宗教といった社会的課題を意欲的に取り込んだ作品がいくつか寄せられました。ただしそれをストーリーにする点でもう一工夫必要と思える作品も多かったです。小説は論文ではありませんから、露骨な主張が作中に飛び出すと、読者に生煮えの印象を与えます。伝えたいことをストーリーに昇華させることで、作者の思いは小説になります。伝えたい思いをどんなストーリーに乗せて動かしていけばよいか、じっくり考えてほしいと思います。

 登場人物の挙動、場面の展開や視点の移動、あるいはセリフの掛け合い等について、ギクシャク感が残る作品も多かったように思います。受賞作を決めるとき、その巧拙は重要な観点になります。文学作品はそれを読む人が脳内で再現することで完成する芸術です。たとえて言えばパラパラ漫画のようなもので、読者の頭の中で登場人物や情景が自然な動きをするにはどのような言葉を用い、どのようなせりふの応答をすればよいか、じっくり考えて少しずつ書き進める必要があります。どこか不自然なところがないか先生や友達に読んでもらって、助言を求めてもよいでしょう。

 短歌部門は、上位3作品はいずれが最優秀賞になってもおかしくない出来栄えでした。事物を正面からまっすぐ見据えてくる作品と、意外性のある言葉の組み合わせで独自のものの見方を前面にした作品。方向性は異なりながらも高い水準にある3作品に順位をつけることに心苦しささえ覚え、審査委員会ではしばらく沈黙の時間が流れました。本当に難しい作業でした。

 上位3作品はいずれも15首の粒が揃っていて、そのことが高い評価につながった側面もあります。短歌賞にもいろいろありますが、15首というのはなかなか微妙な数字ではないかと思います。15首の水準を揃えるには相当な力量が必要です。類型的な題材や表現に陥らず、きらりと光る15首を揃えるには、自分ならではのものの見方を見付け、それを磨き上げる必要があります。同じことは小説を書く場合にも言えるでしょう。

 過去2回の受賞者も含め、超然文学賞入賞者(佳作を含む)には本学が実施する超然特別入試(超然文学選抜)への出願資格が与えられます。令和4(2022)年に施行される新しい高等学校学習指導要領では小説・詩歌を含め、これまで以上に「書く」ことが重視されています。この特別入試はそういう新しい状況に対する大学の回答の一つであると私は考えています。 

 ひきつづき金沢大学は文学で未来を切り拓く志をもつ新たな才能との出会いを求めています。我こそはと思う方は、ぜひ作品をお寄せください。

 

小説部門 講評

                                                    審査委員:小説家 久美 沙織

 超然文学賞も三回目になりました。
 昨年は「妹」の年でした。
 今年は「バディと片親と夏祭り」でした。

 

   お互いに知らないはずの応募者同士がなぜこうも似てしまうのか。

 不思議にも感じますが、誰もがみんな時代の影響をまぬかれず、社会の空気を呼吸していきていることからすると、むしろ、当然なのかもしれません。

 それにしては。

 

 いま何より大きな事象であり、誰もが関係ないではすまされない、「新型コロナ」ことcovid-19と正面きって向き合ったものがなかったことを、とても残念に感じます。2020年の春にはもう、全世界がこの問題のまっただ中にあったわけですから、応募期間にこのことが意識になかったはずはありません。いえ、逆に、もしかすると、「コロナ禍なんかなかったころ」の感覚で描いてもかまわないのは、今年が最後のチャンスだったのかもしれませんね。

 

 選考結果については、ごらんのとおりです。

 ぜんたいにとてもレベルが高く、ここには上がって来なかったものの中には、最後まで上位を争った作品もありました。

 ものごとを評価するのには、絶対評価と相対評価がありますよね。文学賞も同じです。そのどちらかに偏りがちな賞もありますし、両方の側面を併せ持つ賞もあります。選考委員の顔ぶれにより、またスポンサーの意向により、さまざまなことがおこりえます。

 たとえば、芥川賞などは、既存のプロの作品から選ばれるもので、「何度めのノミネート」なのかということが話題にのぼったりします。たまたま同じ年にぶつかってしまった候補作同士の相対評価にくわえ、「同じ作者の過去の作品との比較」もまた検討課題となっていると想像がつきます。

 

 超然文学賞には、ふたつの大きな特徴があります。

1 高校生限定。よって作者の年齢層や境遇が互いにとても似通っている

2 金沢大学の主催する賞である。特別入試の一端を担っている。

 

 今回、残念ながら高評価を受けられなかった作品にも、おおいに見所があるものがありました。たまたま、上のような条件であったゆえに、選に漏れたにすぎないのかもしれません。

 応募してくださったみなさまが、今後も、書くことを諦めず、そのひとらしい何かを表現することに意欲を持ち続けてくださるよう願ってやみません。

 

 最優秀作一編、優秀作二編についてのわたしの選評は以下に掲載します。

 

最優秀作の選評

 生命線  

 由井とふたりの空間感覚がいい。現代の若者の不安や頼りなさ、特有の雰囲気を、丁寧に訥々と描いてみせてくれて、好感がもてた。

 最後まで、まるでどこにも行き着かないのも、この世代にとって現実的なのかもしれない。だが、では、なぜイラクなのか? その選択の理由は? せっかく出したからには、具体的な何らかのエピソードが欲しかった。バーチャルに、砂漠の中庭に「ともだちとふたりでいる」感じが描かれ、それがサンクチュアリのようであったら、と感じた。読者もまたその桃源郷に連れ出してもらえ、心地よい体験として共有させてもらえたのなら、ほんとうに傑作だったと思う。

 だから、タイトルも、パイリダエーサ、だったら良かったのに、と思う。このタイトルでは抽象的すぎるし、印象に残らない。

 僕のバイトというのも気になった。それがどんなものなのかヒントすらない。財政破綻と由井の金欠、この物語のコアは「マネー」にある。主人公自身がどんな働きかたでお金を手にいれているのか、そこが欠けているのは少し不親切だと思う。

 というわけで、実は、この作品が最優秀作になったのはかなりギリギリの奇跡だったのだ。しかし、はらんでいる気配がもっとも、「いま」だった。ネガティブなことに向き合っている点が、他の応募作から一歩抜きんでていた。そういうふうに巡り合わせたことすら、この作品とこの主人公の、戦いにいかないムードと平仄があっていて不思議に美しい。

 

優秀作

ぼくらのハムレット 

 うまい。タイトルもいいし、最初のひとまとまりの文章のキレが実によく、そこから三吉先生の話にスライドする手つきもいい。聡明な作者だ。

 ところが、登場人物のほうが、作者自身よりもずいぶん不器用に設定されているのである。語り手はあまり、さとい、はしこいタイプではない。むしろ、愚直で自制的な、ひとを押しのけることを嫌う少年である。小さな課題にも真面目に取り組もうとしない生徒たちの中で、それでもちゃんと書き続けたたった二名、という関係性が良い。このふたりが、ただの優等生ではなく、それぞれに個性的であることがとてもいい。しかし、やさしい先生が彼らに贈ったのが『ハムレット』と『若きウェルテルの悩み』…もらうほうが中学三年生だということからすると、穏当でいかにも教育者らしい選択だとは思うのだが、すまん、ここが、ちょっと普通すぎる。三吉先生、もうちょっとおチャメなほうがいいし、読者の「本好き」たちが「そう来たか、おう!」とうなるようなセレクションだったら、バッチリだったのになぁ、と思ってしまった。

 とはいえ、ぜんたいにすごくすごくいい。真ん中へんの怒濤の会話が特にいい。特にいいだけに、「知らないことは罪」の扱い、これが、スーパーもったいない。これ、せっかくだから、五年後にリユースしたい。

 赤ん坊おぶってる安達さんをひとめでわかるんじゃなくて(だって、かなり激変しているはずだ。というか、ふつう、はたちの男子大学生は赤ん坊をせおっている女性が視野にはいっても、まともに見たりはしない。たんなる風景の一部だと思うだけで、しげしげよく見る必要性を感じないはず)、たまたまとおりすがりに、彼女が誰かに(たとえば、八百屋さんとかを相手に)「知らないことが罪なんじゃないんだ。知ってることがいっぱいだとかっこいいんだよ」ってなことを言ってる。その声をとおりすがりに小耳にはさむんだ。その発言に、聞き覚えがある。だから、「えっ?」とふりかえったら、赤ん坊を背負って笑ってるひとがいる。顔をみても、誰なのかわからない。でも、何か、すごく気になる。ぼうっとしていると、相手のほうが視線にきづいて、こっちをみて、

「えっ、山崎くん? うわー、ひさしぶりだね」。

 こっちがあり得るリアルだと思う。

 すると同窓会の位置が問題になるんだ。道ばたで偶然出会って「から」、同窓会があって、若くして子どもを産んだ安達さんについてなんだかんだ噂話がとびかう、憶測とか同情とか、失礼で上から目線なことを言っているひともいる(いかにもいそうでしょう?)。けれど、最近、偶然見た安達さんは、ぜんぜんそんなかわいそうな、ひとから見下されるような存在なんかじゃなくて、めっちゃ輝いていた。と山崎くんは思ってるでしょう。「あんなにもまっすぐ前を」むいているとかいってるんだから。だから、ひどい噂に、なにか「いや、きみたち、そうじゃなくってさ」とか、彼女をかばったことを言いたくなるんだ。一瞬なる。けれど。山崎くん、口にしないよね。そこまで頑張れるキャラじゃないからね。もと同級生たちおおぜいを相手にたんかをきったりするタイプじゃない。だから、ちょっと、ごめん、とかいって、さりげなく席をはずして、トイレかなんかいって、鏡をみて。

 そこで、ハムレットか、ウェルテルか、せっかく張った伏線の効き目を出したいんだ。

「ぼくの最初の記録」を書きはじめるんでもいい。

 ここが肝なのよ。

 みんなが憶測で無責任に言ってることと、自分がちゃんと見て感じたことの差異とかずれについて、意識した、ということを象徴して、なにかズバッとやりたかった。

 そういうふうに考えると、ハムレット、つかいやすいかなぁ…?

 なんか違う、もっとうまいもんがあるような気がする。

 その必然性からの逆算で、三吉先生のプレゼントがあったら良かった。

 たとえば、男子である山崎くんがもらったのが『赤毛のアン』で、安達さんがもらったのが、『アイザック・アシモフ自伝』とかみたいな。「え、なんで?」なのが、「そうか、あれが、あの時の選書が、ぼくたちふたりの人生に太い補助線をひいてたんだ」、だったりしたほうがよくないかなぁー?

 そんなこんなで、この作品は、すごくうまいし、いいキャラだし、いい話なんだけど、なにかこうジレッタイというか、いまひとつツボにうまくはまってなくてはがゆいものにも感じられてしまったのだった。

 文章センスはめっちゃあるひとだと思うし、読ませる文章がかける、読者を得られるひとだと思うので、かっこいい雰囲気や字面で流しちゃわずに(たとえば、本を読んで得た栄養が本能に名前をかえる、とかいうあたり。本能ってコトバの定義からいっておかしい)意味と、発言しているキャラの素養(語彙はそこから来る、来ないとおかしい)とかをしっかり把握した上で演出するように努力して欲しい。もっともっとうまくなると思う。

 楽しかった。いいものを読ませてくれてありがとう。

 

 濃く、深く。

 雰囲気のいい題材だけれど、主人公の心情を語りすぎ、実際の行動や見聞きし体験したものの具体的な描写が少ない。読みたいのは解説ではなくて、実況中継なのだ。この子の性格、この子の立場、この子の五感を駆使して、うまれてはじめて間近に見た「藍染め」の強烈な魅力を語ってほしかった。

 藍染めの材料、道具、しくみ、作業工程など、一般人がぜんぜん興味なかったし、これまでまったく知らなかったことを、おもしろく、興味深く、伝えなくてはならない。ひとつひとつの事象や名前をラベルにかいて羅列しただけでは、なにもわからない。全くなにも知らないひとが、「へーえ、うわあ、そうなんだ!」と驚くように。感動するように。まるで、実際に見聞きしたかのように感じさせるように書くのが小説だ。そのためのいわば「カメラ」のようなものが主人公になる。だから、読者にとって、自然とはいりこめるような、なじめるような、主人公にしておく必要がある。

 しかし、たとえば冒頭。具体的なシーンをちゃんと設定しているところは良いのだが、わかりにくい。冷や汗が「しだいに」湿らせる? しだいにということは時間経過があるということ。ここ、一瞬のシーンじゃないのか? 冷や汗とか、幽霊とか、おどろおどろしい、とか、ホラーを思わせるような単語を並べておいて、「いえ、それは勘違いでした」ひっくりかえす。いきなり難度の高い技をきめようとしすぎている。

 たまたまなのだが、私(久美沙織)は、この選考の直前に、『放課後ていぼう日誌』というアニメーションを見たところだった。小坂泰之さんのマンガが原作の深夜アニメだ。原作マンガはコミックスで現在六巻ほどあるが、選考の時点ではマンガは読んでなかった。

 おとなしい女の子が、転校先で、海釣り部活にはまる。そういう話なのだが、「若い女の子がそれまで興味なかったことにすっかり夢中になる」というテーマとそこからの展開、というあたりが、この作品とあまりにも相似、ほとんど同じであった。そのため、つい引き比べてしまった。

 ていぼう部の主人公は本来虫もサカナも苦手で、うっかりさわると白目になって硬直あるいは失神するレベル。なのに「ひょんなことから」ていぼう部に入り、たちまち、釣りに夢中になる。生餌にはさわれないし、釣った魚をさばいているところを直視もできないけれど。おとなしくて人見知りで、手芸が得意な子だからこそ、アウトドア好き釣り好きの野生児のような他の部員などとの関係が際立つ。エピソードが面白くなり、おたがいが欠けを補う。実に良い楽しい話なので、良かったらアニメを見るか、コミックスを読んでみていただきたい。

 ローカル色まんまんなディープな方言がひとつの特徴であるというところも、これ、ていぼう部とかぶってしまったんだよ…。

 もちろん、プロの、アニメ化されるほどの人気作品と、高校生の短い小説をそのまま引き比べるわけにいかないということはわかっている。だが、釣りが好き! でも、藍染めが好き! でもいいが、ほんとうに好きかどうかは、伝わってしまうものなのだ。すまんが作者は藍染めがほんとに好きなのか? 小説の題材としてイケると思って使っていないか? それだと、ローカルTVの「地元の話題」コーナーみたいになりがちなのだ。ちゃちゃっと取材して、ありがちの絵におさまりやすい場面を撮影して、アナウンサーがハイテンションで素敵ですね、素晴らしいですね、とナレーションしてるみたいになってしまう。同じことを取り上げても、語っている本人がめちゃくちゃ夢中なのなら、見てるこっちも引きずられる。そう、本気の「推し」については、誰だって熱くかたるでしょう? たいしてわかってないやつが、あなたがひそかに大好きな何かについて、知ったかぶりなことをとうとうと言ってたら、むしろ腹立ちません? 

 受け手(視聴者、読者)がぐいぐい引き込まれるかどうかは、その、好きの熱量にかかっていたりする。掏れたオトナはテクニックで熱量を演出してみせることもできるけれど、若者は、うまいウソつきになる練習をするより、すなおに正直にほんとうの気持ちをのせられるものを書いてくれるほうがいいと思う。

 そのテクニックのほうに関わる話ですが、真白とアイ、こんなにすぐに仲良くならないほうがいい。敵対してからの尊敬とか、わけわかんない子だと思っていたけど、案外良い子だった、「見直した」のほうがドラマチックになるでしょう? この枚数ではそれを書くのがせいいっぱいだと思う。亡き母の縁、というような深刻なことは、最小限にしたほうが逆に効いた。

 もしかすると、作者は小説よりも、脚本を書いたりマンガの原作を書いたりするほうがむいているかもしれない。この作品も、実写映画だったらさぞかし魅力的で、迫力があったのではないかと感じた。

 

短歌部門 講評

審査委員:歌人 黒瀬 珂瀾

 第三回の超然文学賞の選考にあたり、正直に言って、私は大変な驚きを覚えました。――これは本当に、高校生が書いた作品なのだろうか? 候補作を読みながら、そんな思いがたびたび脳裏をよぎったのです。

 もちろん、すべて高校在学中の方々の作品に間違いありません。つまりこのことは、選考委員である私自身の、限界の一端を表していたのです。私の心奥に、「高校生による短歌とは、このような作品であろう」という先入観があったのでしょう。しかし、皆さんの作品は、そんな私のあさはかな思い込みを、軽やかに、かつ、たかだかと飛び越えてゆきました。まさに、作品の質や技術に年齢は関係ない、ということを今回の入賞作品群は証明してくれました。超然文学賞がこのように、言葉を磨き合う人の集う場としてあたたまってきたことを、心からうれしく思います。

 また一方でこのことは、作品を送って下さる皆さんの意識の深化を表してもいます。形骸的な高校生らしさ――こういった内容を描けば、高校生の短歌として評価されやすいだろう、という典型に囚われない、自由な詩情が、今回の作品群には広がっています。皆さんがそれぞれ、自分自身らしい、想像力の翼と観察力の目を育ててきてくれたこと、それを一番よろこばしく思いました。

 最優秀作をどの作品とするか、その選考の時間は、私たち選考委員にとって一種の苦悩の時間でありました。上位作品に優劣をつけることに意味があるのか、という問いかけの時間でもありました。

 上位三作品、いずれの作者も現代短歌をよく学び、その成果をよく咀嚼していることがわかります。どなたも大変な努力を短歌に注いでおいでなのでしょう。その上で最優秀賞に選ばれた渡邊陽基さんの「晩夏光」、この作品の魅力は、生命の重みへの表現欲とでもいいましょうか。これまでの候補作とは一風ちがった詩情を本作からは感じました。眼前のすべてが宿す、生命の重み。そこに向き合い、見つめ続けることで、作者自身の生命のありようをも浮かび上がらせている。この「晩夏光」というタイトルもそうですが、落ち着きがあるというか、自らのなかに沈黙を育てようという思いが顕著です。率直に言って、現代短歌の最前線の作品と並べ置いても、何ら違和感の無い一連です。

 優秀賞には鬼頭孝幸さんの「米の花」。詩情の自在さ、修辞の巧みさが目を引きます。歌人にはアルティザン(職人的)タイプが多いのですが、鬼頭さんはむしろアーティスト(芸術家的)タイプかもしれないと思いました。都市生活のプリズム、そして、道、電車や駅、エレベーターなどの移動のイメージが交錯し、一つの時代性というものを描き出しています。鮮やかな読後感を与えてくれる一連でした。

 同じく優秀賞の野城知里さんの「花梨の空」。言葉と心情がよく絡み合って成立した一連です。どの歌も良質で、一読、素直で純朴な世界観に引き込まれますが、一筋縄ではいかない。どこか遠い所を見ているというか、歌の中に他者の呼吸が届いている感があります。生きる時間をゆっくりと言葉に定着させてゆくような作風、とも言えましょう。

 それでは以下に、佳作のお三方の歌を少し挙げます。まず、谷地村昴さんの「二両目の窓」から。「ゼリー状の志望理由に母親は蝶の羽より軽くうなずく」。言葉の柔らかさが効いています。比喩表現に実感があり、共感を覚える人も多いのではないでしょうか。二年連続の入賞、素晴らしい成果です。

 次に高平うるまさんの「ひび」から。「砂吐かせかかとを踏んで履き直しつま先蹴って下界へと跳ぶ」。ストレートにたたみかけるような言葉使い、真っ直ぐな視線が、結句で一転する面白さ。ゆっくりと色んな本を読み、多彩な言葉を学んでいってください。

 そして藤原さくらさんの「特急電車」。伸びやかな抒情があり、好感を持ちました。「自転車で団地の坂をのぼる初夏 合服の袖をひとつ捲った」。季節感の輝きに満ちた一連で、作者の真摯な視線がよく反映されていると思いました。歌のなかで結論を出すのを、そう急がなくても良かったかもしれません。

 皆さんの作品を読んで、ちょっとおもしろいことに気付きましたが、作品のモチーフに〈電車〉が取り上げられることが多いようです。なるほど皆さん、それだけ学校生活のうち、通学列車の中で過ごす時間が多いということですね。自らの体験、生活から詩情を紡ぎ出そうとする姿勢がよく出ていると言えます。もちろん電車の歌も良いのですが、ならばもう一歩、さらにアンテナを鋭敏に張って、貴方だけしか気付かなかった街の風景を、家族の表情を、貴方の心の色合いを、言葉で追いかけてみるのも面白い試みでしょう。

 また来年、素晴らしい作品に出合えることを期待しています。

 

表彰式

日時:令和2(2020)年10月24日(土)14:00~15:30

会場:金沢市内 

表彰式の様子はこちら

 

「超然特別入試」超然文学選抜

令和3年度入試出願期間:令和2(2020)年11月2日(月)~9日(月)

入学者選抜要項・募集要項等詳細はこちら

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