金沢大学人間社会研究域附属国際文化資源学研究センターの覚張隆史助教と東京大学やコペンハーゲン大学,ダブリン大学などの国際共同研究グループは,古くから縄文遺跡として知られる伊川津貝塚(※1)遺跡から出土した縄文人骨(IK002,※2)の全ゲノム・ドラフト配列を詳細に解析し,アフリカ大陸からヒマラヤ山脈以南を通り,ユーラシア大陸東端に到達した最も古い系統の1つであることを明らかにしました。
アフリカで誕生したホモ・サピエンスが,ユーラシア大陸の東端までどのような経路(ルート)を通って到達したかは,いまだ明らかになっておらず,ヒマラヤ山脈以北および以南の2つのルートが考えられています。東アジアに最初にたどり着いた人々は,考古遺物から北ルートを通ってきたと想定されてきましたが,最近のゲノム研究は,現在東ユーラシアに住んでいる全ての人々が南ルートであることを示しています。つまり,考古遺物から考えられてきた人類史とゲノム研究から考えられる人類史には矛盾がありますが,それについてこれまであまり議論されてきませんでした。
そこで本研究グループはその矛盾の解決に向けて,IK002は日本列島にたどり着いた最初のホモ・サピエンスの直接の子孫であるか,IK002は南ルートの子孫であり北ルートでやってきた人々の遺伝的影響はないかの2つを明らかにするためにIK002の詳細な全ゲノム解析を行いました。
過去から現在の東ユーラシア人類集団のゲノム情報をもちいて系統樹を構築した結果,IK002だけではなく,現在の東アジア人や北東アジア人,アメリカ先住民も,南ルートのゲノムを主に受け継いでいることを示しました。そして,IK002は日本列島にたどり着いた最初のホモ・サピエンスの直接の子孫である可能性が高いことが判明しました。
また,先行研究(Jinam et al. 2012)で発表された北海道アイヌの人々のデータなど日本列島周辺の人類集団とIK002の関係を分析した結果,本州縄文人であるIK002は,アイヌのクラスターに含まれることが判明しました。この結果は北海道縄文人の全ゲノム解析(Kanzawa-Kiriyama et al. 2019)と一致し,アイヌ民族が日本列島の住人として最も古い系統であると同時に東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つである可能性が高いことを示しています。
さらに,IK002と現在および過去の東ユーラシア人へのマルタ人骨(MA-1)からの遺伝子流動(集団間の交雑)の痕跡をD-testと呼ばれる統計解析で検証しました。これまでの研究から,現在の北東アジア人およびアメリカ先住民へは,MA-1からの遺伝子流動が有意な値で示されています(Raghavan et al. 2014)。しかし,本解析では,現在の東アジアおよび東南アジア人類集団へのMA-1からの遺伝子流動はほとんど検出されず,IK002へもMA-1からの遺伝子流動の統計学的に有意な証拠は示されませんでした。つまり,北ルートでやってきた人々のゲノムの影響は,IK002のゲノムで検出されませんでした。
本研究により,日本列島・本州に約2千500年前に縄文文化の中を生きていた女性が,約2万6千年前より以前に,東南アジアにいた人類集団から分岐した「東ユーラシア基層集団(東アジア人と北東アジア人が分岐する以前の集団)」の根っこに位置する系統の子孫であることが明らかとなりました。つまり,縄文人が東ユーラシアの中でも飛び抜けて古い系統であることを意味し,ひいては,縄文人ゲノムが現在のユーラシア大陸東部に住む人々のゲノム多様性を理解する鍵を握っていることを示しています。しかし,本研究はIK002という1個体の詳細なゲノム解析であるため,これらの結果はIK002という個体について言えることであり,全ての地域・時代の縄文人について言えるわけではありません。
現在の東ユーラシアの人々の遺伝的ランドスケープを理解するためには,より高精度の縄文人ゲノム解読が不可欠であり,今後,高精度縄文人ゲノム解読を進めることによって,日本列島人ゲノムの総合的理解に貢献することが期待されます。
本研究成果は,2020年8月25日に国際学術誌『Communications Biology』のオンライン版に掲載されました。
図1. 左の写真は,伊川津貝塚出土人骨(女性)IK002。右の写真は,側頭骨錐体という頭蓋骨の一部をダイヤモンドカッターで切断している様子。
図2. 東アジア人類集団の形成史をモデル化した図
【用語解説】
※1 伊川津貝塚
1918年に最初の発掘が行われて以来,多くの考古学者,人類学者によって発掘がおこなわれてきた,愛知県田原市伊川津町にある縄文後・晩期を代表する大規模な貝塚遺跡。叉状研歯を伴う抜歯の痕跡が見られる人骨が見つかっていることで有名である。
※2 縄文人骨(IK002)
2010年に本論文の共著者・増山禎之らによって伊川津貝塚から発掘された6体中の1体であり,壮年期女性の人骨で,腹胸部に小児(IK001)を乗せていた。IK002の頭部に縄文晩期後葉のこの地方の典型的な土器である五貫森式土器が接した状態で発掘されている。
研究者情報:覚張 隆史