カザフ国立大学
2023年度 アジア〈カザフスタン〉
T. K.(人間社会学域 国際学類 3年)
私は2023年9月から2024年6月初旬までカザフスタン共和国アルマトイ市において、本校の協定校であるアルファラビ名称カザフ国立大学で教育を受けた。主な目的は、ロシア語の学習である。旧ソ連構成国の一つであったカザフスタンは、未だにロシア語が広く使用されている。現状を鑑みて、同国は目的を達成できる最善の環境と考えた。また私はいくつかの点において、日本とカザフスタンが対照的なことに興味を持った。カザフスタンは世界最大の内陸国であり、国土には豊富な天然資源を有する。加えてイスラム教徒が多数派を占めている。更に時をさかのぼると、カザフスタンは旧共産圏である。これらの点が社会にどのような違いをもたらすについて、私は関心を持ったのである。
私が留学準備を始めたのは、2年生の6月ごろである。まず受け入れ要件を満たすことを最優先とした。私の場合IELTSもしくはTOEFLのスコアが必要であり、学内の対策講座を受講した。次に残った単位の習得である。帰国後現在と同じ科目が開講される保証はないため、できる限り多くの単位習得を目指した。これが功を奏して留学直前の3年生前期は、時間的に余裕を持つことができた。その時間を利用し他大学に聴講生として通い、留学先について知見を深めた。留学直前には各種予防接種などを行った。また下宿をどうするかについては議論の種であり、最終的に解約せずに留学へ行くことになった。反省点としては、情報収集の不足である。私は始めて派遣された学生で、情報が少なかった。故に他の大学の留学報告書を参考にしたが、到着後に色々と苦労した。特に大学のカリキュラムがわからず、受け入れ先の学部に希望の授業が存在しない自体に陥った。幸い現地の教員方々にご助力頂き、学部を移すことができた。今回は運良く助けて頂けたが、自分の情報収集の甘さを痛感した。現在はSNS等を利用して、誰でも気軽に情報発信が可能な時代である。現地に滞在している日本人がこれらを使って情報発信していることも珍しくないため、積極的に活用してほしい。
留学先のカザフスタン・アルマトイ市は、中央アジア有数の大都市である。韓国から直行便が就航しており、日本からのアクセスは比較的良い。ショッピングセンターやスーパーマーケットも数多く存在し、クレジットカードが使える店も多い。またATMも街中に存在するので、現金の確保も容易である。治安も想像以上に良く、旧共産圏ではお馴染みの警官による汚職もあまり聞かなかった。街中に軍服を着た兵士が沢山いることに驚くかもしれないが、たいていは軍事教練帰りの大学生なのでそこまで気にする必要はない。(カザフスタンでは、兵役がある。)しかしトラブルを避けるため、軍・警察関係者や車両の写真撮影は控えること。またイスラム教の国であるため、女性の撮影にも注意が必要。
治安はそこまで悪くないが、交通マナーは最悪である。歩道を歩く際にも、原付や電動キックボードに注意すること。路面の状態も良くない場所が多いため、転んだりしないように気を付ける必要がある。気候は基本的に厳しい。冬は日の出も遅く、日照時間も短いため体調管理に気を付けること。積雪も多い。野菜類も流通量が減るため、ビタミン剤などを持参する学生もいた。大気も金沢に比べて良くないので、ケア用品の持参をおすすめする。暖房設備は整っているが、反対に冷房設備は普及していない。湿度が低いので幾分か過ごしやすいが、水分補給を怠らないように。
私が留学中積極的に行っていたことは、とにかく話すことだ。私のルームメイトは現地の学生であった。文化の違う人々と共同生活をするにあたって、トラブルを避けるため意思疎通は重要である。これは会話の練習になるだけでなく、現地の文化を知る良いきっかけとなる。授業前後に担任と世間話をするなど、機会を見つけてチャレンジしてみよう。
留学にはトラブルが付き物だが、辛かったのは自分ではどうしようもない問題である。私の場合は到着してから2週間、大学の寮に入居できなかった。これについて自分で出来ることは皆無だったため、待つことしかできなかった。この時家族のサポートが心強かったのを覚えている。これはトラブルとは少し違うが、留学生としての重責に悩んだこともあった。私は金沢大学から初めて派遣された学生であったため、自分の不始末が今後やって来る後輩達に迷惑をかけるのではないかといつも考えていた。金沢大学の品位を貶める行動は慎むべきだが、私の場合は物事に対して消極的になってしまった。今にして思えば、もう少し気楽に考えてよかったのではないかと思う。
トラブルも多かったこの留学だが、私は大成功であったと考える。先述した主目標については、概ね達成できたと考える。授業のみならず、現地の学生との交流を通して想像以上に多くの物事を学ぶことができた。特に多文化共生について身をもって体験できたことは、大きな意義があった。現地の学生との共同生活では、相容れない物事も多かった。もちろん分かり合えたことも多かったが、異なる文化と共存することが、如何に難しいか知ったのである。この経験を踏まえて、私は自分なりのやり方で多文化共生が実現できないか模索したいと思う。具体的な進路はまだ決まっていないが、どんな形であれこの目標を達成できる道に進みたい。
最後に今後派遣留学を志す皆さんに、一つアドバイスをしたい。留学では自分の思った通りに物事は進まないことの方が多い。だがそれは新たな学びのチャンスでもある。私の場合では受け入れ先の学部を間違えたことによって、現地の学生との共同生活という素晴らしい経験を得ることができた。仮に本来の学部を最初から選択していれば、日本人同士で生活していただろう。即ち人生万事塞翁が馬であり、思いもよらない学びを得ることができると私は考える。難しいことではあるが、皆さんには勇気をもってその一歩を踏み出してほしい。