平成24年4月7日 いしかわ総合スポーツセンター
本日ここに,平成24年度金沢大学入学宣誓式が挙行されますこと,誠に慶賀に存じます。ただ今,学域入学生1,874名,大学院入学生815名,別科入学生41名の入学許可を宣言致しました。2,730名の皆さん,皆さんは今日から金沢大学の学生です。おめでとうございます。金沢大学を代表して,皆さんを心から歓迎いたします。また,今日の日を共に祝うために,ここに参集されましたご家族の皆さまに対しましても,心よりのお祝いを申し上げます。
1年と27日前,昨年の3月11日,東北地方太平洋沖地震が起きました。この大災害に際し,金沢大学は地震直後から様々な支援活動を行って来ました。附属病院の医療支援や心のケア,放射性物質を扱う専門家による汚染調査や汚染除去,地震の専門家としての情報発信や防災立案,学生の活力や奉仕精神が強く発揮された被災地でのボランティア活動,などであります。今後とも皆さんとともに手を携えて復旧・復興に力を尽くしたく存じます。
さて,皆さんが入学された金沢大学は1862(文久2)年に設立された加賀藩彦三種痘所を源流としています。彦三種痘所は医学部の淵源であり,1867(慶応3)年には卯辰山養生所ができ,薬学部の前身である製薬所舎密局が付設されました。1874(明治7)年には教育学部の前身である集成学校・石川県師範学校ができ,1886(明治19)年には第四高等中学校が設立され,1894(明治27)年に第四高等学校へと引き継がれました。第四高等学校には文科と理科があり,それぞれ,後の法学,文学,経済学部,および理学部の母体となっています。工学系は一番新しくて,1920(大正9)年に設立された金沢高等工業学校が,工学部へと発展しました。
金沢大学はこの様な様々な歴史と伝統を持った高等教育機関が1949(昭和24)年に国立学校設置法のもとで統合・設置され,8学部・25学科・課程を有する総合大学へと発展してきました。この間,1989(平成5)年における社会環境科学大学院(博士課程)の設置をもって,全ての学問領域で大学院博士課程が整い,研究大学としての体制が整備されました。2004(平成16)年には,大学の理念と目標を「金沢大学憲章」として定め,その前文で自らを「地域と世界に開かれた教育重視の研究大学」と位置付けました。そして憲章に謳われた理念・目標を実現すべく,その第一歩として,2008(平成20)年に,これまでの学部学科制を学域学類制に再編成し,この3月に第一期生が卒業を迎えました。
本年,2012年は,金沢大学の源流,加賀藩彦三種痘所の設立から数えて150年の節目の年です。私達は本年を創基150年と位置付け,次の150年を見据えて,様々な記念事業を行っています。一昨年11月6日,金沢城公園に「金沢大学誕生の地」の石碑を据えました。また,昨年11月5日には,加賀藩彦三種痘所の跡地である金沢市彦三郵便局前に「金沢大学発祥の地」の石碑を建立しました。是非,彦三郵便局,金沢城公園を訪れ,金沢大学発祥の地,誕生の地を実感して下さい。皆さんは,金沢大学の記念すべき年に入学されました。皆さんの母校となる金沢大学の創基150年事業へ積極的に参加して下さるよう,期待しています。
ところで,皆さんはパストゥール(1822−1895)という名前をどこかで聞いたことがあるかと思います。パストゥールは,近代細菌学の祖として,また,牛乳などの低温殺菌法(パストゥール&ベルナールは1862年に低温殺菌法の最初の実験を行った)の開発者として今に名を残す19世紀のフランスが生んだ著名な細菌学者です。金沢大学の基が置かれた年の7年前,1855年,パストゥールは,若くして,リール理科大学教授兼学部長に任命されました。任命に際し,時の文部大臣がリール大学長に書いた手紙には次のようにあります。「パストゥール氏は科学に対する愛情によって我を忘れるようなことがあってはなりません。彼は,大学での教育が,科学理論の発展を保ちながらも,影響が広範囲に及ぶ結果を生むよう,リール地方の実際的要求に応える独自の応用研究に邁進しなければならない,ということを忘れてはならないのです」。
リール大学長への手紙にみられるように,150年前においても,大学には「より直接的な社会貢献」,いわば,「手段的価値としての教育・研究」が求められていたのは明らかであります。今日に至るまで,大学はこの「手段的価値としての教育・研究」と「知の継承・知の創造」で表わされる「内在的価値としての教育・研究」においてバランスをとりつつ,時代とともに異なる要請に応えながら,「社会のため」に存在し発展してきた,といえます。
21世紀の今,我が国においては,教育基本法(2006年改正:第7条「大学は学術の中心として,高い教養と専門的能力を養うとともに深く真理を探求して新たな知見を創造し,これらの成果を広く提供することにより,社会の発展に寄与するものとする」)に見られるように,「手段的価値としての教育・研究」が大いに期待されています。このような,時代の要請に応え,金沢大学では産学官連携活動を強化するとともに,インターンシップ教育プログラムを中心として,キャリア教育に取り組んでいるところです。皆さんはこのようなプログラムを大いに活用し,「社会のため」の公欲の人として成長していただきたい。
個人を取り巻く文化には,国家,地方,共同体といろいろなレベルがあります。人間の肌に沁み,その中で育っていく文化は共同体レベルでありましょう。そこにある文化とは,その文化に身を任せてしまえば,平穏に一生を送ることができるかもしれません。しかし,21世紀に生きる皆さんは,グローバル化がすすむ世界へ踏み出す準備をしなければなりません。多様な異文化に対応する柔軟性を養い,英語という共通言語を中心としながらも複数言語をツールとして操る,いうなれば新人類へと脱皮しなければなりません。生まれ育った文化を忘れることなく,自らの国の文化を誇りとし,併せて,国際感覚を備えた新鋭として成長していただきたい。その足場となり,それに手を添えることが大学の使命の一つであります。
そのためには異文化交流が欠かせません。異文化との出会いは,ショックを与え,異質なるものへの理解と寛容,そして創造への力を育み,新たな知の創造へとつながります。大学憲章で「東アジアの知の拠点として,グローバル化の進む世界に情報を発信する」と謳っている金沢大学は,アジアを中心に海外事務所の設置や留学生の増加に努めて来ました。2年前からは,組織的海外インターンシップをカンボジアのアンコール遺跡整備公団の協力を得て実施しています。さらに,様々な短期,長期の留学プログラムも準備しています。皆さんにはこの様なプログラムを活用し異文化交流に努め,自由に世界を行き来する人として成長されんことを願っております。
今,人類は資源・エネルギー,食糧,人口,気候変動,地球温暖化などの地球規模の問題に直面しています。また,我が国においては東日本大震災からの復旧・復興が重い課題であります。これらの事象を鳥瞰するならば,大量生産・大量消費をパラダイムとするこれまでの20世紀型工業文明は,少なくとも今日の日本においては,世界に先駆けて終焉を迎えているといえるでありましょう。パラダイムシフトが求められる文明の転換期には,深い教養こそが問題解決の糧となり,自己の生きる道を指し示します。
地球上に生命が誕生してからの30億年,ホモサピエンス誕生から20万年,我々が生まれてからの年月といった時間軸,そして,個人,家族,社会,国家,世界といった空間軸。このような時間軸と空間軸からなる世界において己のポジショニングができる力,それが教養です。広く多様な学び,人との出会い・別れ,喜びや悲しみ,様々な言語や異文化との出会いなど,多くの思考との交わりが,皆さんの教養を涵養するでありましよう。
「伝統なき創造は盲目的,創造なき伝統は空虚である」。これは金沢出身の神経内科学者冲中重雄先生(1970年文化勲章受章,1902−1992)の言葉です。皆さんが学ばれる分野はいかなるものであれ,伝統の基礎の上に,即ち継承された知識を基礎として新たな知を創造されんことを期待します。
金沢大学が位置する金沢市は,加賀藩の城下町として栄え,天下の書府として長い歴史のある「歴史都市」であります。一方,伝統の中から創造が芽吹いている「創造都市」でもあります。斬新な21世紀美術館,鈴木大拙館を兼六園という日本屈指の庭園と隣り合わせに建て,そこに環境と調和した空間を作り上げた金沢は,時代を切り拓く鋭い感覚を備えたルネサンス都市と言えます。また,一昨年4月には,「学生のまち推進条例(金沢市における学生のまちの推進に関する条例)」を施行した学生に優しい街でもあります。そこでの生活,人との交わり,文化芸術の出会いは、皆さんの勉学を一層実りあるものとするでしょう。金沢大学において,創基150年入学生として学ぶことを誇りとし,充実した大学生活を謳歌し「彊い金沢大学生」として育っていかれることを祈念し,告辞といたします。
平成24年4月7日
金沢大学長 中村 信一