金沢大学ナノ生命科学研究所の炭竈享司特任助教(JSTさきがけ研究員),福間剛士教授,同研究所海外主任研究者でアールト大学(フィンランド)のアダム・フォスター教授らの共同研究グループは,3次元原子間力顕微鏡(※1)像を予測する新たなシミュレーション手法を開発することに成功しました。
生体分子は細胞内の溶液中で3次元構造を取りながらも動いており,動くことによってそれらの分子は機能しています。この機能により私たちの身体は維持され,生きています。従来の観測手法では溶液中で動いている生体分子の3次元構造を計測することは困難ですが,それを可能にし得る計測技術の一つが3次元原子間力顕微鏡です。しかし,生体分子のような柔らかくて動いている分子が3次元原子間力顕微鏡では“どのような像”として見えるのかを理論的に予測する手法はこれまでありませんでした。
本研究ではまず,染色体を模した高分子と原子間力顕微鏡のセンサー(探針)からなるモデルを構築し,ジャルジンスキー等式(※2)を用いて探針が高分子から受ける力を計算することで,生体分子の3次元原子間力顕微鏡像を理論的に予測する新たなシミュレーション手法を開発しました(図1)。その結果,ひも状の高分子は水中で動いていても,確かにひものような形状の3次元の像として描き出されることが分かりました(図2)。また本手法を用いたシミュレーションにより,3次元原子間力顕微鏡の実測における最適な実験条件の算出も可能となりました。さらに,今回開発したシミュレーション手法を用いることにより,これまで3次元原子間力顕微鏡で実測されている代表的な生体高分子であるアクチン繊維の3次元原子間力顕微鏡像を再現良くシミュレーションすることにも成功しました(図3)。
これらの知見は,3次元原子間力顕微鏡像の実測値からさまざまな生体分子の構造を求める手法の開発に活用されると期待されます。
本研究成果は,2022年6月9日(米国東部時間)に米国科学誌『The Journal of Physical Chemistry Letters』のオンライン版に掲載されました。
図1:生体高分子と原子間力顕微鏡の探針のモデル。生体高分子は1本のひもであり,片端からもう一方の端まで,青から赤で色付けしている。グレーの棒が探針である。探針が侵入している様子を示すため,生体高分子はカットしてある。
図2:高分子モデル(左)と本手法のシミュレーションで計算された3次元原子間力顕微鏡像(右)。3次元原子間力顕微鏡像で計測される力には斥力(赤)と引力(青)があり,高分子の周囲では弱い引力,内部では斥力が計測される。高分子モデルのひも状構造が,3次元原子間力顕微鏡像においてはひものような形状の強い斥力(濃い赤)の領域として部分的には見えることを予測している。
図3:生体高分子(アクチン繊維)のシミュレートされた3次元原子間力顕微鏡像(左)と実験により計測された像(右)。図1,2で開発した計算手法で,単純な直線状構造と分かっているアクチン繊維の実験を再現できるかを確認している。実験では下に引き伸ばされた三角の形状が観測されており,この形状はシミュレーションでも再現されている。
【用語解説】
※1 3次元原子間力顕微鏡
原子間力顕微鏡の探針を上下左右前後と3次元に動かすことにより,試料から感じる力(原子間力)の3次元空間依存性を計測してマッピングする。これによって,溶液内においても試料の3次元の形状を(サブ)ナノメートルの解像度で解明することが可能な顕微鏡である。
※2 ジャルジンスキー等式
非平衡過程において外部からなされた仕事(外部から物体に働く力と,その力によって物体が力の方向に動いた距離との積)を自由エネルギー変化と結びつける等式。本研究の場合,生体高分子の中に探針が侵入していく外部仕事を自由エネルギー差に変換するために使われている。自由エネルギーの空間による微分が力になる。
The Journal of Physical Chemistry Letters
研究者情報:炭竈 享司